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東京高等裁判所 昭和29年(行ナ)24号 判決

原告 三光商事株式会社

被告 特許庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一請求の趣旨

原告訴訟代理人は、「昭和二十八年抗告審判第一四三号事件について、特許庁が昭和二十九年二月二十七日になした審決を取り消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求めると申し立てた。

第二請求の原因

原告訴訟代理人は、請求の原因として、次のように述べた。

一、原告は、昭和二十五年三月八日、別紙記載のようにゴジツク体で「BABY」の文字を横書にし、その下部中央に「ベビー」の片仮名を縦書にして構成されている商標について、第二十八類「毛糸」を指定商品として、昭和二十五年商標登録願第四七五三号商標の連合商標として、登録を出願したところ、(昭和二十五年商標登録願第四七五五号事件)特許庁は、同年十月二十五日出願公告の決定をなし昭和二十六年一月二十四日公告をなした。これに対し訴外中島弘産業株式会社は、同年三月二十四日登録異議の申立をなし、特許庁は、昭和二十七年十二月二十二日右異議の申立は理由がある旨の決定をなし、同時に原告の出願について、拒絶査定をなした。よつて原告は昭和二十八年一月二十六日右査定に対し、抗告審判の請求をしたが、(昭和二十八年抗告審判第一四三号事件)特許庁は、昭和二十九年二月二十七日原告の抗告審判の請求は成り立たないとの審決をなし、その謄本は、同年三月十六日原告に送達された。

二、審決は、訴外中島弘産業株式会社が手編毛糸に使用する、「BABY」の英文字又は「ベビー」の片仮名で構成されたもの及びこの両文字の結合で構成されている標章を引用し、右標章は、右訴外会社で手編毛糸に使用するものとして、原告の本件出願前から善意にこれを使用し、原査定の頃は勿論のこと、本件商標の出願公告の頃すでに取引者及び需要者間で、広く認識されていた、いわゆる周知標章である。そして原告の本件商標と右の周知標章とは、称呼及び観念が同一又は類似しているから、類似の商標であり、かつその使用する商品が同一であるから、商標法第二条第一項第八号の規定により、登録することができない。

更に右訴外会社は、別紙記載のように「BABY」及びベビーの文字で構成される商標について、第三十一類木綿織物を指定商品として第一六三〇七七号登録を、第三十二類毛織物を指定商品として第一六三〇七六号登録を、第三十三類麻織物を指定商品として第一六三〇七五号登録を、第三十四類第三十類乃至第三十三類に属しない織物を指定商品として第一六三〇七四号登録を、第三十類絹織物を指定商品として第二一九二九〇号登録を受け、これらの登録商標を指定商品とする各種の織物類に永年使用し、現に取引者及び需要者の間に著名になつている。そして織物類及び手編毛糸並びに糸等は、衣料販売に属する同業者の間で、取引又は市販されるものであるから、原告の本件商標をその指定商品に使用して販売するときは、当該商品は恰も前記訴外会社の取扱又は販売にかかるものであるかのように世人を誤信させ、商品の出所について混同を生ぜしめる虞があるから、同条第一項第十一号の規定により、登録することができないとしている。

三、しかしながら、右審決は、次の点において違法であつて取り消されなければならない。

(一)  原告は、訴外中島弘産業株式会社が審決で認定したような標章を使用していることを争う。審決は、幾多の書類を引いて右の事実を認定しているが、その大部分は、右会社が異議を申し立てるに当り、利害関係を有する取引先又は商工会議所に依頼して作成してもらつたもので、到底その内容に信を措くことができないばかりでなく、その成立が真正であるかどうかも疑わしい。また大阪府知事等の証明したものも、証明者が、果して証明の内容を真に検討して作成したかどうかも極めて疑わしい。原告は、これらの文書の証拠力を否定するものである。

しかのみならず、特許庁が抗告審判において職権を以て調査したと称する文書は、原告に全然提示していないから、このような文書により認定した審決には承服することができない。

(二)  審決が中島弘産業株式会社が使用し周知せられていたものとしたベビー印商標は織物類に関するものであり、原告の本願商標は糸に関するものである。両者はその使用する商品の性質、用途、種類を異にするもので、商標法においても、商品分類上、織物類は第三十類ないし第三十四類であるのに対し、糸類は、第二十六類ないし第二十九類となつている。仮りに引用商標が、商品織物について取引者需要者間において周知であつても、糸類に付いてまでも商標上周知とは解されない。従つて商標法第二条第一項第八号に該当するものではない。

(三)  審決は、前述のように、中島弘産業株式会社は、手編毛糸に昭和二十五年一月頃からベビー印標章を使用し始め、その後引き続き盛んに使用して取引者、需要者間に広く認識せられ周知性を有したと認定しているけれども、昭和二十五年一月から三月当時においては、未だ周知性を有していない。かゝる事実があれば、大阪に営業の本拠を有する手編毛糸業者である原告の耳に入るのが当然であるが、昭和二十五年六月以前においては、その噂さえ知らず、ことに昭和二十五年二月末までは、手編毛糸の配給統制時代であり、この時代には何人もその商品に商標は全く付けられないで取引されたことは顕著な事実である。ことに三月頃は既に手編毛糸の不需要期に入らんとする時期で、その頃一般に宣伝販売したということは常識上考えられない。原告会社の取扱う手編毛糸と、同会社の毛糸とは、共に同一生産会社の製品であつて、その第一回の入荷は、昭和二十五年八月十日前後であるから、これが商品として市場に現われたのは、少くともこれに加工日数を加えた以後のことである。

(四)  仮りにその後に至つて周知性を有するに至つたと仮定しても、本件の登録出願は、昭和二十五年三月八日であつて、その当時においては、本件の商標と同一或は類似の周知標章は存在しない。

商標法第二条第一項第八号のいわゆる周知標章に関する規定は、先願主義を建前とするわが商標法の例外規定として、同法第九条の規定と共に、先使用者保護の私益規定であることは学説判例の認めるところであり、これが成立の時期に関しては、法律の何等規定しないところであるが、第九条に「他人ノ登録出願以前ヨリ」と明記されているところは、同様の先使用者保護の私益規定である本号についてもあてはまるところであつて、周知標章の成立時期は、当然出願の時を以て判断せられなければならない。

先に述べるように、同会社の標章が仮りに周知標章に該当すべきものであつたとしても、その成立の時期は、明らかに原告の本件登録出願以後のもので、それ以前でないことは明らかであるのに、審決がかゝる重要な成立の時期の点を看過し、漫然これを第八号の「他人ノ標章」に擬し、本件の出願を同号に該当すべきものとして登録を拒否したのは違法だといわなければならない。

(五)  なお一歩を譲り、周知標章成立の時期を登録時標準説に従つたとしても、引用標章は、善意に使用されたものではないから、これについて前記第八号の規定を適用するのは不当である。

中島弘産業株式会社が昭和二十五年一月頃からベビー印標章を使用し、現在において周知ならしめたと称する標章は、原告の出願後において、ベビー印を手編毛糸に使用し、しかもこの標章は登録されていないのにかかわらず「TRADE MARK DEGD」と記して使用していたこと、及び右会社が、原告の出願後原告に対し和解の申出をして来た等の事実に徴すれば、右会社は善意にこれを使用していたものでないことが窺われ、到底周知標章としては認められない。

(六)  最後に審決は、前述のように原告の商標は、商標法第二条第一項第十一号に該当するから登録することができないとしているけれども、商標法における商品分類上、糸類は第二十六類ないし第二十九類であるのに対し、織物類は第三十類ないし第三十四類であり、この商品分類の法規上の点から見ても、また取引観念の上から見ても、織物類と糸類とは異別の商品であつて、商品の取引に誤認混同を生ずる虞のないことは、何人も当然首肯するところで、この点においても審決は誤つている。

第三被告の本案前の主張

被告代理人は、本件訴訟を却下するとの判決を求め、その理由として、本件訴状は被告を特許庁として提起したもので、特許法第百二十八条ノ三前段の規定に違反して不適法である。原告代理人は、その後訴状請求原因欠缺補正書において、被告の表示を特許庁長官石原武夫と記載しているが、右は民事訴訟法第二百三十二条の規定により、請求の基礎の変更となることは明らかである。しかも右補正書は、これが裁判所に提出された時においてその効力が生ずることは明らかであるから、右請求の基礎の変更すなわち被告を特許庁長官となした効力は、本件抗告審判の審決を受けた日より三十日を経過した後に有効となり、右の訂正は許容せられるべきものではない。

なお行政事件訴訟特例法第七条による被告の変更については、重大なる過失のある場合、これをなし得ないことは同条但書の明定するところであるが、本件訴訟代理人は、特許法律関係の手続を専業とする弁理士二名と、一般法律関係の訴訟手続を専業とする弁護士一名であつて、これら専門業者は、拒絶査定不服抗告審判の審決を不服として訴訟を提起する場合、その相手方を特許庁長官としなければならないものである位のことは、一応承知されているものといわなければならないから、本件訴訟において、被告を特許庁とすることは、重大な過失に相当するものというべく、右変更は容認せらるべき範囲を越えたものといわなければならない。

第四被告の本案の答弁

被告代理人は、本案について、原告の請求を棄却するとの判決を求め、原告の請求原因としての主張に対し、次のように述べた。

一、請求原因一及び二の事実は、これを認める。

二、同三の主張を否認する。

原告の本件出願商標から「ベビー」(BABY)の称呼及び観念を生ずること明らかであり、また審決に引用された他人の周知標章及び各号登録商標は、これと同一の称呼及び観念を有することは極めて明瞭である。しかもこれら周知標章及び各号登録商標は、審決に引用されている証拠により取引者及び需要者の間で、訴外中島弘産業株式会社の手編毛糸に使用する標章とし、また各種織物類に使用する各号登録商標として、広く周知されているものと認められるから、原告の本件出願商標と、右周知標章とは、称呼及び観念を同一にし、かつ指定商品も互に牴触するものであるから、この関係において、本件商標の登録は、商標法第二条第一項第八号により拒絶されなければならない。

また両商標が、右のような関係にあるばかりでなく、原告の本件商標と右各号登録商標においても、称呼及び観念を同一にし、かつ両商標を使用する商品は、取引上同業者の間で取扱、又は販売されるものであることは業界の実際に照し明らかであり、右各号登録商標は取引者及び需要者の間で広く周知されているから、原告の本件商標をその指定商品に使用するときは、当該商品はあたかも、中島弘産業株式会社の取扱、または販売に係るものであるかのように世人を誤信せしめ、商品の出所について混同誤認を生ぜしめる虞が十分であるから、本件商標は、商標法第二条第一項第十一号にも該当し、その登録が拒絶せられなければならない。

第五証拠〈省略〉

理由

一、先ず本件の訴が適法であるかどうかについて判断するに、本件の訴は、原告の請求にかゝる商標登録願拒絶査定不服抗告審判事件について、特許庁がなした審決に対してなすものであつて、かかる訴においては、特許庁長官を被告としなければならないことは、商標法第二十四条によつて商標に関し準用せられる特許法第百二十八条ノ三本文の規定するところである。

原告代理人が当初当裁判所に提出した訴状には、本訴の相手方を「被告特許庁右代表者特許庁長官石原武夫」と記載したが、その後当裁判所に提出した各準備書面には、「被告特許庁長官石原武夫」、または「被告特許庁長官」と記載している。これらの事情をつぶさに考察すれば、原告代理人が当初訴状に、被告の表示を前述のように記載したのは、むしろ「被告特許庁長官石原武夫」となすべきのを誤つて表示したものと解するのを相当とし、原告代理人の真意が、始終を通じ、前記法条の規定するとおり、「特許庁長官」を被告とするものであつたことは、その記載自体から、これを十分うかがうことができるから、本訴は適法であつて、被告代理人の本案前の主張は、これを採用することができない。

二、本案について、原告主張の請求原因一及び二の事実は、当事者間に争がない。

三、右当事者間に争のない事実と、その成立に争のない甲第一号証とによれば、原告の本件における登録出願にかゝる商標は、別紙記載のように、ゴシツク体で「BABY」の文字を横書にし、その下部中央に「ベビー」の片仮名を縦書にして構成せられ、原告は、昭和二十五年三月八日第二十八類「毛糸」を指定商品として、その登録を出願したこと及び特許庁は、その抗告審判の審決において、訴外中島弘産業株式会社が手編毛糸に使用する標章を引用し、これを周知標章として、商標法第二条第一項第八号により、原告の右商標の登録を拒絶すべきものとするとともに、請求原因二の後段に記載したような各号登録商標を引用し、商品の出所の混同を生ずる虞のあることを理由とし、原告の商標は、同条第一項第十一号の規定によつても、登録を拒絶すべきものとしたものであることが認められる。

四、その成立に争のない乙第五号証の一ないし五によれば、訴外中島弘産業株式会社は、別紙記載のように、中央に「ベビー」の片仮名を縦書にし、その上下に図案化した「BABY」の文字を配置して構成されている商標について、第三十一類木綿織物を指定商品とする第一六三〇七七号、第三十二類毛織物を指定商品とする第一六三〇七六号、第三十三類麻織物を指定商品とする第一六三〇七五号、第三十四類、第三十類から第三十三類までに属しない織物を指定商品とする第一六三〇七四号(以上いずれも大正十三年十月二日登録、昭和二十一年一月二十一日更新登録)及び第三十類絹織物を指定商品とする第二一九二九〇号(昭和五年十月六日登録、昭和二十六年五月十四日更新登録)の各号登録商標を有していることが認められ、右事実とその成立に争のない乙第一号証の一ないし十二、乙第三号証の三を綜合すれば、右中島弘産業株式会社は、前述の商標を使用して、昭和元年頃から現在まで毛織物、ギンガム、交織服地、サテン地、ネル地について、全国的に盛大に宣伝販売を続けて来ており、右商標は、原告の本件登録出願以前から、右会社が前記商品について使用するものとして、広く取引者及び需要者の間に認識され、右商標の普通の称呼である「ベビー」印は、これを付した衣料品が、直ちに同会社の取扱品であることを思わせる程度に著名になつていたものであることを認めることができる。

原告の商標は、その構成上「ベビー」印の称呼を有することは疑なく、この点において、右会社の著名商標とその称呼を同一にする。もとより、前記会社が右著名商標を使用する商品は、前に認定したとおりであつて、原告の指定商品毛糸とは同一でないが、両者はひとしく衣料品として、その性質用途の上に極めて密接な関係を有し、また取引上同一店舖ないし同一営業部門で取り扱われたことが甚だ多いから、ベビー印を以て呼ばれる原告の商標を、その指定商品について使用するときは、世の購買者等は、これが他の前記衣料品と同様、中島弘産業株式会社の取扱、または販売する商品であると誤つて解するおそれが多分にあるものといわなければならない。すなわち、原告の商標は、商品の出所につき混同を生ぜしめるおそれがあり、商標法第二条第一項第十一号によつてその登録をすることができないものと解せられる。

五、してみれば、右認定と同一の理由により、原告の商標登録を拒否すべきものとした審決は、他の理由である商標法第二条第一項第八号の適用の当否を判断するまでもなく、相当であつて、原告の本訴はその理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のように判決した。

(裁判官 小堀保 原増司 高井常太郎)

(別紙省略)

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